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柳 兼子 (やなぎ かねこ) (1892-1984)

 音楽における「白樺派」を一人で代表した下町育ちの柳兼子(22.旧姓・中島)は、日本の近代声楽法を確立すると共に、夫・宗悦の精力的で多様な活動を物心両面で支え続けました。大恋愛の末の我孫子での新婚生活の最中(さなか)、日本政府の朝鮮人抑圧・同化政策に対抗するため宗悦と共に朝鮮に渡り、連続的に音楽会を開催。多くの人々との厚く深い心交を持ち、声楽の神様とまで言われました。彼女は、ベルリンでのリサイタル(1928)でドイツ人を驚愕(きょうがく)させた日本最高のリート歌手でしたが、軍歌を歌うことを拒否したため、戦中は活躍の場を奪われました。

【白樺文学館の理念】より抜粋。
〔 1999年12月22日 2000年6月改訂 武田康弘 〕