左上のデフォルメされた文字は明らかに、1916年を指してるようです。真中のRはリーチの頭文字でしょうね、きっと。とするとその上の羽模様はバーナードと引っ掛けたものかな?
右上がまたちょっと見難(みにく)い。3 of Marchかなぁ? だとすると、リーチが我孫子に来たのは1916年の12月だから、その直前てことになるなぁ。
うーん、という会話がしばらくあって、話は民権運動の方へずれ込む。
柳 宗悦のこと
武田先生が改めて柳の本を読み直してみて思ったこと。 『柳という人間は、民芸の運動家としてしか知られてないけど、すばらしく知的な人ですよ。中国、欧米、日本の思想に精通し、おそろしく平易(へいい)な文章で現実に根ざした行動を伴う哲学・思想を表現する人なんですね。』
話がはずんで結局3時間近くお邪魔することになってしまった。
沖縄に対する標準語強制に対しての公開討論の提言、茶の湯への徹底的な批判と新しい茶の湯の提言と実行、山県有朋(やまがたありとも)らが作った官僚システム内「エリート」による民主派への執拗(しつよう)な弾圧との闘い。(明治時代から今と大して変わらない状況だったんですね。困ったもんです。ちなみに軍部がこの国を完全に牛耳ったのはほんの一時期のことです。基本的には昔も今も東大法学部卒の官僚による支配。)
いずれ、開館の折にはそんな話がちりばめられ、簡潔にわかりやすく説明されるのではないだろうか。楽しみです。
ちなみに武田先生は市井(しせい)の哲学者でもあります。
今日のところはこれでおしまい。
(古林) |