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●白樺文学館開館顛末記


 
 

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16.ブレイクとグレイ 他

2000年8月27日

 お待たせしました。ようやくブレイクの水彩画とグレーの詩をちょっとだけご紹介できることになりました。8月19日(土)、哲研で学芸員の 塚本 さんが『A Long Story』その他の訳と詳細な説明を約2時間にわたってしてくれました。ただし、とても私の知識ではそのすべてをご紹介できません。今回はその触りということになりそうです。別の機会にもっとご紹介できるとは思いますが。

 さて、この『A Long Story』、白樺文学館のエントランスに飾られることになりそうです。塚本さんの更なるWildな(中学生に理解できるような)訳とともに。こりゃ、えらいことですね、塚本さん。頑張ってください。

 で、ここでは、ブレイクとグレイについて、作品の簡単な紹介、それとどうして白樺文学館にブレイクなのか、については触れておく必要がありますよね。


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ウィリアム・ブレイク
William Blake
1757年11月28日ロンドン生まれ
1827年8月12日没
詩人、画家、版画家

トーマス・グレイ
Thomas Gray
1716年生まれ 1771年没
詩人

A Long Storyの一枚(全部で12枚)

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上の絵をクリックするともっと大きな画像が見れます。

 ブレイクの時代は産業革命勃興の時代でもありました。科学技術の急速な進歩が始まろうとしていたときです。それは今日にいたる客観的事実(合理主義)の時代の始まりともいえるものでしょう。その時代にあって、絵画の世界でも客観的事実を表現する写実的なものが主流でした。ブレイクはこうした合理主義‐事実主義の時代に対する痛烈な批判をもって作家活動を続けていたのです。事実、写実的な油絵を嫌い、ビジョンあるいはイマジネーションというものを非常に大切にしました。その結果、ブレイクの作風は極めて明確な線と水彩による絵という様式にいたったのです。明確な線はブレイクにとっては明瞭(めいりょう)なビジョンの表れともいうべきものだったようです。
一方、ブレイクの批判の目は(グレイも同様ですが)、そうした合理主義‐事実主義に対するばかりでなく、貴族たちにも向けられていました。ブレイクの絵やグレイの詩には多くのアイロニーが見られるのです。

 通常、ブレイクとグレイはイギリス・ロマン派に分類されます。イギリス・ロマン派とは、自然(Nature、人の心も含む)の重視、過去(中世、古代、神話)へのあこがれ、それに怪奇小説(特にドイツ、シェリーのフランケンシュタインなど)の影響を受けた一派を指します。
上の絵はそのブレイクの代表的な絵の一つです。神話的な雰囲気が出てますよね。


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Ode on the Spring からの一枚

 ビジョン、イマジネーションはこんな具合に顕れます。
創作に熱中する詩人のトーマス・グレイ に太陽の光のごとくインスピレーションが注ぎ込んでいます。
真中の詩はほぼ同時代に生きたトーマス・グレイのものです。 ブレイクは詩の方でより有名ですが、ブレイク自身の場合も単独でよりもこうして絵と詩を組み合わせた表現を好んでいました。


これも、 ODE ON A DISTANT PROSPECTからの一枚

 こうした絵(リトグラフと水彩の組み合わせ)と詩のコンビネーションは現代の日本のマンガにも通じるところがありますね。個人的には、佐藤史生、水木しげる、諸星大二郎、それに昔の萩尾望都なんかを思い出します。(みんな漫画家です。ちょっと古いかな。)

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A Long Storyの表紙
今日ご紹介するものは、このA Long Storyを含めすべて、28年前に100部限定でフランスで出版されたものです。オリジナルを所有していたアメリカ人がフランスに持ち込んで印刷してもらったものの一つで貴重なものです。
詩はすべてトーマス・グレイ、絵はブレイクの手によるものでリトグラフと水彩を基本にブレイク独自の工夫がかなり加えられているそうで、詳細については不明な部分も多々あるそうで。


同じくA Long Storyのインデックス。
ブレイクは、創作に対して構想から実際の制作にいたるまでの一貫した工程をとても大事にしていました。実際に制作する人たちをアーティストと区別してアーティザン(職人)と呼んで見下していた当時の作家達を批判的に見ていたようです。端的にいうと、それは作家の肥大化した自意識そのものを批判していたのかもしれません。
今日のデザイナーも特にヨーロッパでは、実際の制作を見下す傾向にあります。【私のスタイル】といった言い方に自意識の肥大化が見られます。これは【個から出発する】こととは似て非なるものでしょう。『個性をいかした教育』を標榜(ひょうぼう)する現代の教育のあり方にも近いですね。個は結果として出てくるもので、闇雲にそれそのものを追求するのは転倒に思えますが。

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同じくA Long Storyから

 真中のトーマス・グレイの詩にシンクロするように絵を書いていないところがこれらの作品の面白さでもあります。
トーマス・グレイの詩にブレイク独自の解釈やアイロニーが絵のほうに入り込んで、結果的にこれらの作品にある種の緊張感が生まれています。
映画でも時々ありますよね。映像と音が単なるシンクロではなく、ある種の緊張感があって作品自体をより光らせているようなものが。小林正樹の【怪談】(音は武満徹)やロマン・ポランスキーの【マクベス】(音楽はザ・サードイヤー・バンド) なんかを思い出します。(古い例ですいません。最近映画を見てないもので。)


 右の絵とはリンクしてませんが、ちょっとA Long Storyの一節を紹介しましょう。

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What, in the very first beginning!
Shame of the verifying tribe!
Your History whither are you spinning?
Can you do nothing but describe?
なんと!そもそもの始まりですと?
なんでも事実を確認という輩は恥を知っていただきたい。
そこから歴史をかたろうですと?
君は述べる、ということしか能がないのですか?
A house there is (and that's enough)
From whence one fatal morning issues,
A brace of warrior, not in buff
But rusting in their silks and tissues.
家があった、(それでもう十分じゃないですか。)
そこからある運命の日の朝に
いさましい戦死がおふた方、いや軍服ではなく、
絹と薄物(うすもの)の衣擦(きぬず)れさやさやとご出陣だったのです。
(塚本 明子 訳)

 なんでも事実を確認という輩当時、時代の趨勢(すうせい)になりつつあった合理主義‐事実主義に対する強烈な批判がここには含まれています。
家があった、(それでもう十分じゃないですか。):前にも触れたように、イマジネーションあるいはビジョンというものを彼ら(ブレイクとグレイ)は大事にしていました。家がまさにそれです。


 もっと乱暴な話に置き換えてみましょうか。

 体の具合が悪いので病院へ行った。
いろいろな精密検査を受けて数字はみな正常だから何ともないといわれ、鎮静剤をもらってきた。でも、やっぱり具合が悪い。
これはとてもよくある話ですが、もし経験豊かで洞察力のある医療者(医師とは限りません。)であったなら、望疹(ぼうしん)、問診、触診などを通してその人の具合の悪い状況をわしづかみにすることでしょう。 そしてその患者に対して最も適切な治療を施すのではないでしょうか。
私もそんな優秀な医療者に出会ったことがありますが、ビジョンを通して見るということはそういうことなのだと思います。

 こんな話をしたのは、純粋な訳だけでは中々意味をつかむことが難しいからです。何せお国も時代も違いますからね。ということで塚本さんの更なるWildな訳がいずれ登場することになるはずです。


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A Long Story もう一節。このパートは下の絵の中にかかれているものです。ちなみに左の絵は一つ前の場面。

The gohstly orudes with hagged face
Already had condemn'd the sinner.
My lady rose, and with a grace
She smiled and bid him come to dinner.

幽霊のようなお上品な魔女の面々が
すでに彼を有罪と決めていた。
すると公爵夫人は優雅に立ち上がって
ほほえんで彼を晩餐(ばんさん)に誘われたのです。

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上の絵をクリックするともっと大きな画像が見れます。
Jesu-Maria Madam Bridiet,
Why what can the Viscountess mean ?
(Cried the square Hoods in woeful fidget)
The time are altre'd quite and clean

まあ、なんですって、ブリジットさま お聞きになって?
公爵さまは何であんなことをなさるのでしょう?
( 四角い頭巾の人物が嘆き、いらついて叫んでおられる)
ああ、すっかり時代が変わってしまったのですわ。

Here 500 Stanzas are lost
この間500節ほど抜けております!。
And to God save our noble King
And guard us from long-winded Lubbers,
That eternity would sing
And keep my lady from her Rubbers.

かくして、神よわが国王を守り賜え。
どうか息が続きすぎるこの間抜け詩人から
永久にでも歌いつづける気の間抜けから われわれを逃れさせたまえ。
そしてわたしのわが奥方をトランプあそびから 守りたまえ。

 

 実はA Long Storyの最大のオチは最後にある一節にあるんだそうな。(左のがそうです。)
間抜け詩人とはもちろんトーマス・グレイ自身を指しています。

A Long Storyは実は短いんだな、これが!


 簡単にまとめるつもりだったのですが、中々そうはいかんですな。
最後になっちゃいましたが、何で白樺文学館にブレイクなんですかね?

 既にご存知の方も多いと思いますが、バーナード・リーチが最も敬愛した詩人がウィリアム・ブレイクでした。そして白樺派の思想的な意味での中核をなしていたのが柳宗悦であり、柳の思想を決定づけたのもブレイクだと考えられるのです。
そう考えると、ブレイクを白樺文学館で取り上げることの意味は明白でしょう。
以前にもご紹介しましたが、柳はブレイクとホィットマンという雑誌を刊行していたこともあります。また、柳の『民藝運動』にもブレイクの影響が見受けられます。アーティストとアーティザンを区別しないブレイクの考え方、合理主義、事実主義には批判的な姿勢で対し、生の人間のビジョン、あるいはイマジネーションをとても大事にしたこのブレイクの姿勢に共鳴したのかもしれません。
このあたりは、今後の宿題になりそうです。 もちろん タケセンと塚本さんのですけどね。

2000年8月27日 古林 治
 
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