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●白樺文学館開館顛末記


 
 
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12.本邦初公開

 ちょっと文字ばっかりになってきて淋しいと思うのは私だけではないでしょうね、きっと。今日は写真がメインです。

 まずは本邦初公開の資料です。

暗夜行路の最終部分の原稿

長谷川氏への手紙 志賀直哉が懇意(こんい)にしていた長谷川氏との間に原稿の一部を譲るという約束がありました。
これは当時、大連(だいれん)に居住していた長谷川氏に宛(あ)てた手紙です。
写真はその封筒です。

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長谷川氏への手紙
その手紙です。

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 下の写真は件(くだん)の暗夜行路後半部の原稿。これは我孫子を離れ、奈良で書かれたもの。
我孫子時代とは違って志賀直哉はほとんど小説が書けない状況に陥っていたようで、最後の最後の部分を書き上げるのに何年も要したと伝えられています。父親とのほとんど半生にわたる確執に終止符が打たれたあと、小説を書くためのエネルギーまで失ってしまったんでしょうか?前の写真にある手紙でも、このような原稿は差し上げるようなものでもないのだが、というような記述が見られ、当時の書けない苦悩を窺(うかが)い知ることができます。
暗夜行路 写真クリックでもう少し大きな画像が開きます。

fd 長い間、志賀直哉と長谷川氏の間で多くの書簡が交わされていた。

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ブレイクとホイットマン

fd

これは柳宗悦らが発行していた部数限定の雑誌。

和紙に絹糸を使っての美しい装丁。


何ともいえませんね、この赤は。きれいです。 写真クリックでもう少し大きな画像が開きます。

今日のところはこれまで。

また、時間を見つけてタケセンのところに山のように積まれている資料を撮って来ますのでお楽しみに。

2000年7月8日 古林 治 

 

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