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11.文化とは第二の本能 −タケセン講演会ー

 ちょっと前になりますが、5月21日(日)我孫子市民会館にて「志賀直哉ら白樺派に学ぶ」と題した講演会が開催されました。講師は無論、白樺文学館館長 武田康弘氏。主催は、『我孫子の文化を守る会』です。
その論旨は、 『我孫子の文化を守る会』の会報から下記に引用させてもらいますが、講演会の冒頭、タケセンが面白いことを言ってました。

 文化って何でしょうね。
思うに、人間にとっての第二の本能のようなものでしょう。人間はほかの動物とちがって本能が部分的には壊れてしまっている生き物です。 社会的な生き物としてよりよく生きていくために、本能とは別に文化というものが必要になってきたんだと思えます。
そう考えると、文化というのは常にすばらしく正しいものだともいえないでしょう。時代時代によって、また社会の都合によって要求されるものは異なってくるからです。重要なことは、私たちの現在にとって、そして未来にとってそれが良いかどうか、ではないでしょうか。だから、良くない、といえるものは守る必要はないし、良い、と思えるものを育(はぐく)み、発展させることに意味があるのでしょう。白樺派自身が基本的には良い、良くないということを『私』 という立場から見極めてきたのです。

  たしか、こんなニュアンスのことを言ってたような気がします。ちょっと時間がたってしまったので、うろ覚えですが・・・
でも、まったくそのとおりだと思います。伝統だから、もう決まったことだから、というような話を私たちは日常的に、本当によく聞きます。でも、そこで考え、吟味(ぎんみ)することを止めてしまったら、私たちは因習に縛られ、より良いどころか、より良くない、面白くない人生を送ることになるんじゃないでしょうかね。
そういう意味で、白樺派の最良の部分を継承・発展させることには大きな意味があると私は思っています。文化とはやはり創りあげていくものなのでしょう。

 なお、下の引用文の中には、白樺派の弱点(アキレス腱)についても触れています。白樺派に対してネガティブな印象を持っている人にとっても面白いのではないでしょうか。もちろんこれは反面教師として私たちが乗り越えなければならない点でもあります。
実のところ、私自身、志賀直哉は好きだったのですが、白樺派に対してはあまり良い印象をもっていなかったのです。 それは白樺派の弱点という物を感じていたせいもありますが、むしろ、既存(きぞん)の白樺派に関する記述の多くが事実をちゃんと読み取っていなかったからではないかと今は思っています。おそらくそのあたりの事実関係と、これまでとはかなり異なる解釈を白樺文学館で知ることができるのではないかと期待しています。

2000年7月8日 古林 治 


以下、引用です。

志賀直哉ら白樺派に学ぶ

我孫子の文化を守る会 会報 号外 平成12年7月5日
第二十回記念文化講演会 「志賀直哉ら白樺派に学ぶ」
白樺文学館館長武田康弘氏の講演から
発行人三谷和夫
事務所 〒270-1143 我孫子市天王台6-18-2 Tel.0471(83)1077

 1914年(大正三年)から関東大震災直前の1923年(大正十二年)初めまでの間、前後して白樺派の主力メンバーの柳宗悦、志賀直哉、武者公路実篤らが我孫子に住んで、恰(あたか)も白樺村の様相を呈(てい)していた。彼らが、同人文芸誌『白樺』を創刊したのは、1910年、「大逆」事件が起こり、「日韓併合」が強行された年であった。大正デモクラシーと称せられるこの時代我孫子は白樺派の「創造の地」であった。今、我々は彼らから今日的に何を学ぶべきなのか。講師、武田さんは熱っぽく語る。

 『白樺派の彼らは、既にある特別な形から出発するのではなく、ありのままの自分の心を見つめて、その心を偽ることなく素直に表現しようとした、既成の権威を認めることなく、自分の目.で見、足で立ち、そして自分の頭で考えた。志賀の辛辣(しんらつ)な天皇制批判や、柳の天皇と国家への厳しい言動、武者小路の明治天皇死去時の乃木の殉死への鋭い批判などは、みなこの「私」の立場からのものであった。彼らは、肩書きを軽蔑(けいべつ)し内容の良さのみを評価して集団同調的に他に追従することがなかった故に、一人ひとりの個が強く美しい輝きを発した、現代日本の、政治、経済、教育、などの各界で一番求められるのはこの点ではないか。」 会場から質問が出た。
---白樺派は学習院という特権階級出身者の貴族ヒューマニズムに過ぎないのではないか。我孫子市民との交流があったのか。軍国主義はなやかなりし時、彼らは何をしていたのか。等々---

 「白樺派のアキレス腱は、彼らに社会の構造的分析が欠落していたところにあるが、あとからの時代の我々は同派の持つ美点を学ぶと同時にその限界は越えて行かねばならない。」と武田さんは答えた。

 百名をこえる聴衆の中からは率直な質問が続出し、大盛会であった。新しい文化-考え方・生き方を創り出すための「白樺文学館」は11月竣工(しゅんこう)、、2〜3ヶ月の準備期間をおいて開館予定。

 
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